マチュ・ピチュの歴史保護区

マチュ・ピチュの歴史保護区

今や観光地として世界各国から多くの人が訪れるようになったペルー。世界遺産は世界のさまざまな場所に存在しています。それにも関わらず、なぜペルーまで訪れる人が多いのかというと、なんと言っても1983年に世界遺産登録された「マチュ・ピチュの歴史保護区」の存在が大きいでしょう。「いつの日かマチュ・ピチュ遺跡を見たい」日本でもそう考えている人は多いことと思います。

マチュ・ピチュの歴史保護区はテレビでもたびたび取り上げられており、連日世界各国から多くの観光客が訪れる地でもあります。1911年7月アメリカのハイラム・ビンガム探検家によって発見されたマチュ・ピチュの歴史保護区。ハイラム・ビンガム探検家はインカ文明の軌跡をおって道路をたどっていったところ、マチュ・ピチュの歴史保護区を発見しました。その後1915年までに3回ほど発掘を行いました。このことは論文や書籍として発表されており、タイトル「失われたインカの都市」は世界的なベストセラーとなりました。

マチュ・ピチュの歴史保護区の名前ともなっているマチュ・ピチュ遺跡ですが、実は誤って付けられた名前だと言われています。当初マチュ・ピチュ遺跡は名前が付けられていませんでした。ハイラム・ビンガム探検家は地元の人に遺産名を尋ねたところ、遺跡がある山と勘違いし「マチュ・ピチュ」と答えたといいます。これがそのまま遺産名として名づけられ、現在ではマチュ・ピチュの歴史保護区と呼ばれています。マチュ・ピチュの歴史保護区が一躍有名になったきっかけは、1913年にナショナル・ジオグラフィックの4月号でマチュ・ピチュの歴史保護区の特集が組まれてことがきっかけでした。

これにより瞬く間にマチュ・ピチュの歴史保護区の存在が人々に知れ渡っていきます。マチュ・ピチュの歴史保護区は「空中都市」や「インカの失われた都市」、「空中の楼閣」などとも呼ばれています。名前のとおりマチュ・ピチュの歴史保護区は、山頂の上に建設されたインカの都市で、よくこんな場所に建設することができたなあと感心する場所にあります。遺跡で多く使われている石を山の下に広がる川などから運んできたことが推測されます。

2012年現在は遺跡保護のため交通規制がかけられており、電車とバスをのみしか使えない状況です。保護目的のため、あえて道路を建設していない地区でもあります。後世も雄大な遺跡が保護され続けるのを祈るばかりです。